プレゼンテーション(ゼミ発表や学会での成果報告)のスライドについてのページです。

私はこれまで違う研究領域(社会心理学・認知心理生理学・発達認知科学)の研究室に所属する機会がありました。
そのため、人にどのように「自分の考えや研究成果をわかってもらうか」ということについて考える機会が多かったように思います。
留学先では、受け入れ教員がゼミで毎回自身の研究成果をプレゼンしていました。
感銘を受け、とてもいい経験になりました。

このページの内容は、これまでの経験と次の本・論文を参考にしています。


プレゼンテーションZEN

Kosslyn, S. M., Kievit, R. A., Russell, A. G., & Shephard, J. M. (2012). PowerPoint® presentation flaws and failures: A psychological analysis. Frontiers in Psychology, 3, 230. doi: 10.3389/fpsyg.2012.00230.


このページでは特に、聴衆の認知(情報量)・感情(高画質の写真)・動機づけ(ストーリー)の観点から簡単にまとめています。
より詳しくプレゼンについて勉強したい方は、先ほど紹介した本や論文を読むことをお薦めします。

 

Appeal to audiences' COGNITION

最初は、聴衆に理解してもらう工夫についてです。
興味・好奇心研究の観点から考えると、興味深い発表には新規性・複雑性・不確かさ・対立・驚きといった聴衆の「評価」に基づく要素が含まれています(e.g., Berlyne, 1960)。
評価と同じくらいに大事なのは、理解できるか(対処可能性)です(e.g., Silvia, 2005)。
理解促進につながる・聴衆の認知に訴えかけるスライドを作る1つの方法が次のものです。

情報量を減らす

人が1度に処理できる情報量には限界があります(e.g., Cowan, 2010; Lang, 2000)。
発表を通じて、より多くの情報を・自分の研究の長所を伝えたい気持ちになりますが、理解してもらえなければ悲しいです。
情報量を減らす1つの方法は、「文字の量」を減らすことです。
もう1つの方法は、文字情報を図や写真に「置き換える」ことです。
この2つを意識するだけで、聴衆の発表に対する理解が大きく変わると思います。

研究発表では、写真を用いた発表はあまり適していないように思うかもしれません。
しかし、プレゼンテーションZenの著者であるガーレイノルズによると、権威のある国際学会でも高画質の写真を多く用いた発表が行われているそうです(youtudeの動画)。
また、留学先の受け入れ教員の発表でも、文字情報は必要最低限でした。
写真・図を巧みに織り交ぜて、メインのグラフ・図を提示し、研究結果の妥当性やそこから生まれるメッセージを主張する。
ワクワクする発表でした。

スライドに文字情報が増えてしまう別の原因として、スライドとスライデュメントの混同があるかもしれません。
2つの違いはBox 2.で詳しく説明します。

Box 1. 情報量を減らす vs. 内容を平易にする

スライドを直す時に、聴衆にわかりやすくする工夫をすると思います。
この時、「情報量を減らす」ことと、「内容を平易にする」ことは別の作業と捉える必要があります。

両方とも聴衆に内容をわかりやすくする目的を持っていると思いますが、作業の方向性が異なります。
「情報量を減らす」作業は、基本的にスライドの枚数を減らすことです。
自身の発表のポイントを明確にし、聴衆に「わかりやすい発表だった」と思ってもらいます。
「内容を平易にする」作業は、基本的にスライドの枚数を増やすことです。
結果的に情報量が増え、聴衆に「わかりにくい発表だった」と思われる可能性があります。

大切なのは、自分の研究の位置付けを明確にしておくことだと思います。
論文の構造に関するページで書きましたが、研究にはいくつかのパターンがあります(どちらが正しいか・プロセスを明らかにした・類似性や差異・ものすごく新しいこと)。
もっと言えば、研究を行う前・研究を行っている段階で、どのような主張をしたいのかイメージしておくことが良いかもしれません。
詳しくは、イシューからはじめよ:知的生産の「シンプルな本質」に書かれていますので、興味がある方は読んでみてください。
 

Appeal to audiences' EMOTION

次は、聴衆に面白いと思ってもらうための工夫についてです。
綺麗な画像や動画には心がうたれるものです。
聴衆の感情に訴えかけるスライドを作る1つの方法が次のものです。

高画質の画像(写真)を用いる

写真や動画は感情の研究で用いられることも多く、私たちの注意と感情を動かすと同時に体の反応も変えます(詳細はこちらの本を参照)。
また、適切な写真と話の組み合わせ(内容が一致している)は、文字と写真の組み合わせよりも記憶に残りやすいことが知られています(e.g., Mayer, 2009)。
写真を用いることは、情報量を減らす点からも理にかなっています。

なぜ高画質でなくてはいけないか?
低画質の写真は注意を削ぐもの(ディストラクター)となってしまう可能性があるためです。
せっかく写真を使って聴衆の感情に訴えかけようとしているのに、理解の妨げになってしまったら元も子もありません。

高画質の写真は、無料のサイト(写真ACなど)・有料のサイト(iStockなど)にたくさんあります。
欲しい写真がない場合は、自分で写真を撮って加工する必要があるかもしれません。
画像の加工は有料なソフトウェアを用いなくても、KeynoteやPowerPointに簡単な機能は搭載されています(背景を透明にするなど)。

Box 2. スライド vs. スライデュメント


スライデュメントはスライドとドキュメント(資料)を混ぜた言葉です。
簡単に言えば、スライド上に全ての情報を載せているものです。
SlideShareなどの普及により、発表したスライドを公開する機会が増えてきました。
実際に発表を聞きに行かなくても発表内容を知ることができるとても良いサイトだと思います。
このようなサイトでは、スライドだけを見て(サイト下部に説明する欄がありますが)内容を理解する必要があります。

スライドに全ての情報が載っていることは、(不特定多数の)見る人にとってはよいことかもしれません。
また、スライデュメントと相性のいい発表もあると思います(統計など)。

しかし、実際の発表では発表者がいて、聴衆がいます。
スライデュメントでは情報量が多すぎて理解の妨げになります。
また、全ての情報をスライドに載せてしまうと、発表者がいる意味が薄くなってしまいます。

個人的には、発表用のスライドと公開するスライド(スライデュメント)は分けて考える必要があると考えています。
発表用のスライドは、必ずしも見ただけで発表内容がわからなくても良いと思います。
なぜなら、この場合のスライドは発表者の言葉を伝え、聴衆の理解を促進する道具だからです。
高画質の写真は発表者の言葉と相まって、感情的なメッセージを伝えることを手助けします。
あくまで主役は発表者で、発表者がメッセージを発します。

一方、ネット上などに公開するスライドは、発表者自身はいません。
主役はスライドです。
この場合は、文字情報のない高画質の写真の価値は下がります。

研究発表をし、その資料を公開したい場合は、手間はかかりますが2つ以上のファイルを作る必要があるかもしれません。
発表時には、時間内に理解できる量の情報を載せたスライドと、(必要があれば)細かな情報を配布資料を作成します。
公開時には、発表したスライドに配布資料や載せきれなかった情報を盛り込んだ別のファイルを作ります。

発表用と公開用のスライドは目的が異なるため、同じになることは少ないと思います。
 

Appeal to audiences' MOTIVATION

最後は、発表を通じて聴衆に考え・行動を変えてもらうようにする(研究で言えば研究テーマを発展してもらう、共同研究のきっかけにするなど)ための工夫についてです。
素晴らしいスライド・プレゼンに出会うと、心を打たれ、発表者の話をより聞きたくなったり一緒に何かをしてみたくなるものです。
映画やドラマ・本でも、ストーリーが面白いものはついつい見てしまいます。
聴衆の動機に訴えかけるスライドを作る一つの方法が次のものです。

伝えたいメッセージは何なのかを明確にし、それに沿ってストーリーを作る

人の処理資源には限界があるので、メッセージはできる限り少なくします。
もう少し細かく考えると、1スライドで伝えるメッセージは1つにします。
そしてそれらのメッセージが、最終的に伝えたい最も重要なメッセージ(発表で言いたいこと・伝えたいこと)につながるようにします。

これまでわかっていたことは何だったか?
解決しなければいけない問題は何だったか?
どのように解決したか?
これまでと比べて、今回の発表で(研究領域の)世界の見え方はどのように変わったか?

これらのことを意識してストーリーを作るといいかもしれません。
いくつかのスライド間には「対立」はあってもいいですが(知見間・理論間)、提示順序やスライド間に「ズレ」はないように気をつけます。
必要のないスライド間のズレは、理解を妨げる元になります。

スライドのストーリーを考える作業は、映画の脚本づくりと似ていると言われることがあります(安宅, 2010)。
TEDの発表を見ていると、まるで短編映画やドラマを見ている感覚になります。

学会発表やゼミ発表に限って考えると、1回の発表は「連続ドラマ」の1話分と言えるかもしれません。
必ずしも「第1話」ではありません。
これまでの発表や論文を加味すると、発表者にとっては「第7話」に相当するかもしれません。
第何話かは重要ではないのですが、この感覚は重要だと思います。

発表者と聴衆に大きな知識のズレがあると、ストーリーに入る前に理解できずに挫折してしまう場合があります。
一度も見たことがないドラマを途中から見ても、内容が理解できないことがあると思います。
面白くないと思えば、視聴者はチャンネルを変えたりテレビの電源を切ります。
同じようにスライドも理解できなければ、聴衆は別の考え事をしたり頭のスイッチをオフにしたりしまいます。

1・2枚目のスライドを特に意識して作ると、聴衆の注意を惹きつけることができるかもしれません。
論文でもpreintroと呼ばれる「導入の導入」のセクションがあります。
聴衆や読者がストーリー(研究内容)にすっと入ってくることを手助けします。

最後の数枚のスライドも重要です。
今後の展開が気になるか、気にならないかにつながります。

ストーリーを考える上でもう1つ重要なのは、理解できるが「つまらない」ものにならないようにすることです。
ドラマや映画でも、内容は理解できるがつまらないと感じるものがあると思います。
ここで大切になってくるのが、興味の「評価」の部分(新規性・驚きなど)です。
重要なスライド(問題点や解決法、結果)が、興味の評価の要素を含むように工夫するといいと思います。

Box 3. ストーリー性が強すぎる発表

研究発表について、「ストーリー」の観点から捉えることに否定的な意見を持つ人がいるかもしれません。
また、発表や論文に対して、個人的にもストーリー性が強すぎると感じたこともあります。
面白いストーリー性のある発表を、ストーリー性が強すぎる発表に変えるものは何なのでしょうか?

次の3つが、面白い発表をストーリー性が強すぎる発表(やや否定的な感覚)に変えるのかもしれません。
1つ目は、主観的な主張が多い発表です。
主観・直感は大切ですが、関連研究は適切に発表に盛り込む必要があります。
2つ目は、先行研究の「否定・批判」をたくさんする発表です。
先行研究を批判し続ければ、自身の研究結果が素晴らしいように感じられるかもしれませんが、フェア(もしくは建設的)ではありません。
強く批判する場合・したくなる場合は、「本人が聴衆にいた時に同じことを言えるか?」を考えるといいかもしれません。
3つ目は、自分の研究結果を否定する先行研究について触れない発表です。
自分にとって都合のいい先行研究だけを引用すれば、ストーリーは一貫します。
しかし、知識背景が同じ研究者にとっては葛藤が生まれるもととなり、理解の妨げになります。

TEDに、オキシトシンと神経科学に関して興味深い動画が2つあります。

ポール・ザック:信頼と道徳性、そしてオキシトシン

モリー・クロケット:でたらめ神経科学に気をつけろ

聴衆がどのような人か・発表がどのような目的かによって紹介する研究は異なると思いますが、考えさせられます。

ストーリー性が強すぎる発表にしないための1つの方法は、自身の研究結果と整合しない先行研究について盛り込み、「建設的に」議論することです。
序論の段階で盛り込めば、これまでの対立や明らかになっていないことがより明確となり、自分がどのように解決したか・その解決方法の良さが際立ちます。
考察の段階で盛り込めば、研究の新たな方向性を示すことができ、研究テーマの将来性が際立ちます。
 

CONCLUSION

まとめると、情報量を減らし、高画質の写真を用い、ストーリーをしっかり考えることで、聴衆により伝わるスライドが作成できるかもしれません。
このページでまとめたことは、当たり前で一般的に知られていることだとも思えます。
しかし、スライドを心理学的法則に基づき検討した研究では、今回まとめたものを含めた多くの法則が守られていないことが示されています(Kosslyn et al., 2012)。
たとえば情報量について、対象とした140スライドファイル全てで(!)情報量が多すぎることを報告しています(limited capacity法則からの逸脱)。

最後に、このページでは発表の仕方(発表者)についてはあまり触れていません。
プレゼンテーションは、スライドと発表者によって成り立つものです。
効果的な発表方法については、プレゼンテーションZEN(と裸のプレゼンター[2016.05.03追記])で扱われているので、興味がある方はそちらを読むことをお薦めします。

聴衆のこころが動かされ、発表者も楽しいと感じる発表。
簡単なことではないかもしれませんが、できるようになるようになりたいものです。


inserted by FC2 system